西暦 |
歳 |
事柄 |
1583年 |
1歳 |
安城市和泉町に生まれた。名は、重之。 |
1584年 |
2歳 |
祖父正信が長久手で戦死した。 |
1595年 |
13歳 |
一人前の武士になるため、祖父の弟石川遠江守信光(いしかわとうみのかみのぶみつ)のいた忍城(おしじょう)にいった。 |
1598年 |
16歳 |
父が亡くなった。徳川家康の近習(家康のそばにつかえる家来)となり、名を嘉右衛門重之(かえもんしげゆき)と称した。 |
1607年 |
25歳 |
家康は江戸城を子の秀忠にゆずって駿府(すんぷ)城(今の静岡)に住むようになった。丈山もこれに従った。 |
1614年 |
32歳 |
駿府城の火事の時、家康の子頼房(5歳)を救い出した。 |
1615年 |
33歳 |
大阪夏の陣の時、力を振るって戦い、手柄を立てた。しかし、家康の出した命令を破っていたので、かえってちっ居(家から外へ出てはならないこと)を命ぜられてしまった。髪をそり落として京都の妙心寺に入り、学問の道に進むようになった。 |
1616年 |
34歳 |
母が病気になったので、看病のため、江戸に行った。家康が亡くなる。 |
1617年 |
35歳 |
病気のなおった母と京都に帰った。 |
1635年 |
53歳 |
母が亡くなった。 |
1641年 |
59歳 |
詩仙堂ができる。丈山はここに住むようになった。 |
1645年 |
63歳 |
六勿銘を作った。 |
1662年 |
80歳 |
狩野探幽が丈山の画像を書いた。 |
1672年 |
90歳 |
丈山、5月23日詩仙堂で亡くなった。 |
1950年 |
その後 |
泉小学校 玄関前に石川丈山の銅像ができた。 |
1970年 |
その後 |
和泉町内に丈山の旧宅を移し、丈山文庫ができた。 |
1996年 |
その後 |
丈山公園を整備し丈山苑ができた。 |